26.10.08

僕の好きな話

 僕の一番好きな話は元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)です。

 十八世紀の初めに、四十七士の侍のしたことは日本の武士の今日の有名な物語になりました。赤穂の大名といわれた浅野長矩は江戸時代の1701年に江戸城の儀式のためにそこへ行きました。儀式のために浅野は作法を勉強しました。浅野の作法の先生は吉良上野介という強力な官職でした。

 伝説によると、吉良は堕落した人で、浅野に非常に失礼なことをしました。ある日、吉良は浅野を侮辱して浅野は怒りに燃えました。浅野は短剣で吉良を切りました。吉良の傷は小さかったですが、江戸城で刀を使うことは本当の犯罪でしたから、浅野は切腹するように強制されました。その結果、浅野家はなくなりました。そして、浅野家の侍は浪人になりました。

 この浪人の四十七士は復讐する陰謀を企てました。この四十七士の指導者は、大石内蔵助という浅野の一番目の家来でした。でも四十七士は吉良が自分を殺す陰謀をうたがっていることを知っていました。ですから、四十七士は次の二年間ぐらい普通の人々のふりをしていましたが、秘密で吉良を殺すのに完璧な時に集まる約束をしました。それから、吉良は大石を特に疑いましたから、吉良は大石を偵察するために忍びを送りました。大石はこれがわかりましたから、京都に引っ越しました。大石はよったふりをして、よく売春宿を訪ねました。このころにたくさんの人々は大石に「本当に侍でしたか?侍の恥だね。。。」ということを言われました。ついに吉良と吉良の忍びは大石がただのよっぱらいだと思いました。そして大石は吉良を殺す時間は今だと思いました。

 浅野が切腹した二年後、江戸で四十七士は秘密裏に会いました。1702年の12月14日の朝早くに吉良の家を襲いました。その日はたくさんの雪が降っていました。四十七士は吉良を見つけた時、丁寧に大石は吉良に自分のことと、どうして四十七士がそこにいるのかを説明しました。それから、大石は吉良に短剣をあげて侍のように切腹をするように言いました。でも、吉良は怖すぎて何もしませんでした。ですから、浪人たちは吉良の体を抑えて大石は浅野を切腹させた短剣で吉良の頭を落としました。

 その後で四十七士は浅野のお墓に吉良の首を持って行きました。それから四十七士は徳川幕府に自分たちから降伏しました。この事件は問題がありました。四十七士は武士道に従いましたが、犯罪を犯しました。ですから将軍は四十七士に切腹を命令しました。全員が浅野のお墓の前で切腹しました。

 江戸時代に平和がありましたから、こんな侍の誇りの物語があまりありませんでした。その結果、すぐに四十七士の浪人の物語はとても有名になりました。

 僕はこの物語は侍の精神だと思います。そして、とてもかっこいいですね。
みなさんはこの物語を聞いたことがありますか?
どう思いましたか?

そして、下に最近の四十七士の映画のトレーラーがあります。見てください。



次の機会まで
シー・ユー

2 comments:

ジェロ said...

この動画はすばらしかったよね!
リクターさん、どこに日本の映画を見るか。僕は日本の侍の映画を見たことが少ないだ。いいレコメンデーションがあるか。何が一番好きな侍の映画だ?

ざわ先生 said...

とても面白い話ですね。名前は聞いたことがあったんですが、恥ずかしながら。。詳しい話は知りませんでした。この映画も見てみたいです。